「あんなに褒めちぎってたのに……、どうしたの?」
まあばあちゃんは、思わず聞きました。
「私もアホやったわ。邦子に悪いことした。国立出てるいうだけで、もったいない思って我慢させて……」
「お春ちゃん……、でも、あんな素敵な人は、そうそうおらんしなぁ。邦子はもう再婚してるし。私も主人が無くなって30年にもなるし……。邦子みたいに新しい人生を考えたほうがええと思うねん。」
「え″! お付き合いしてるん?」
まあばあちゃんもお豊ちゃんも、お春ちゃんが憧れてるだけかなと思っていたのでビックリしました。
「まだや……、せやけど、杉野さん、杉野さんって、それは優しい声で呼んでくれはるねん。」
「へぇ……」
「私の所へ、しょっちゅう来て、不自由してないですか? って、いつも気遣ってくれるねん。」
お春ちゃんは、うっとりした様子で話します。
「お春ちゃんの口調やと、ずいぶんと上品そうやけど、どうして知り合ったん?」
お豊ちゃんは、興味津々です。
「まあちゃんとこからの帰りにな。わたし、シルバーカーの車輪が溝にはまってしもてな。動かんようになってしもてん。そこへ、偶然、通りかかったあの人が助けてくれてな。それからや……」
「えらい、映画みたいな出会いやんか。」
「そやろ? 私もそう思うねん。」
それから、
まあばあちゃんを見て、
「まあちゃん言うたら、私の顔見たら、おなか空いてないか、ばっかり聞くけど、あの人は違う。お身体の調子はどうですかって、聞いてくれるねん。」
「お身体?」
みんな、何とも言えない顔でお春ちゃんを見ていました。
「うん……。ああ、こうして、目をつむるとあの人のハンサムな顔と優しい声が浮かんでくるわぁ……」
お春ちゃんは、ケーキのお皿とフォークを持ったまま言いました。
お春ちゃんは、選挙演説のような説明を終えると、お茶をゆっくりとすすりました。
「お豊ちゃん、ケーキあるんやろ?」
お春ちゃんがニンマリ笑いながら言いました。
「え? 今食べるの?」
「せやで、食後のデザートや。」
あんなに食べた後なのに、お春ちゃんは、食欲旺盛です。
「なあ、まあちゃん、……あんた、恋したことあるか?」
お春ちゃんは、ケーキを頬張りながら言いました。
「恋!?」
「そうや。恋するの恋や。」
まあばちゃんは、聞き間違えたのかと思って聞き返しました。
「え、そら、娘時分はあるけど……」
お豊ちゃんも戸惑いながら言いました。
吉川さんは、キョトンとしています。
「ちゃうで、今! あんた、そんな、娘時分とか言うてたら老けてしまうで。人生にはトキメキがないと!」
「トキメキ? お春ちゃん、あんた、好きな人いるの?」
「そうや!!」
お春ちゃんは、よくぞ聞いてくれましたという顔で言いました。
「その人の顔を見ると、胸が熱うなって、空の上まで飛んでいけそうな気持ちになるねん。」
お春ちゃんは、赤らめた頬に手を当てて言いました。
その手は、ひび割れてガサガサでした。美容室に行ってないのか、髪の毛も伸び放題。白髪も染めていません。服も薄汚れています。
昭雄さんと暮らす前は、人一倍身だしなみに気を使っていたのに……。
「どんな人?」
「そら、恰好エエし、足も長いし、性格もエエし、頭も抜群にエエし、最高や!」
「昭雄さんは?」
「あんなんアカンアカン。あの人に比べたら、カスや。ゴミや。」
お春ちゃんは手をヒラヒラさせて、フンと鼻であしらうように言いました。
まあばあちゃんとお豊ちゃんは、
(ええ!!)
と大きな声を出しそうになりましたが、何とか飲み込みました。
「ほな、大阪都構想って言うのは?」
お豊ちゃんが、お春ちゃんに聞きました。
「なんや。あんた、ずっと橋下さん言うたはるのに、知らんの?」
「うーん。」
「大阪都いうのは、大阪が東京みたいになるいう事や。」
「それは、なんとなくわかるんだけど……」
「ようするにや。総理大臣が大阪にもしょっちゅう来てくれはるようになるねん。あんたも家の前、ちゃんと掃いとかんと、総理大臣が通らはったとき恥ずかしいで!」
「え? 堺にも来るの?」
「そら来はるやろ。隣やねんから……飛行機やったらすぐや。」
「うーん。でも、堺に飛行機、降りれるところあった?」
と、お豊ちゃんが言うと、
「あほやな。そんなん、すぐに作るわな。」
お春ちゃんは、エヘンと満足そうに頷きました。
まあばあちゃんも吉川さんもポカンとしています。
家に着いて、お茶にするころには、雨は本降りになってきました。
「まあちゃんのオニギリ、ホンマにおいしいわ。」
お春ちゃんが、オニギリを頬張りながら嬉しそうに言いました。
「お春ちゃん、ゆっくり食べて、まだたくさんあるから。」
「ほら、お春ちゃん。お茶……」
とお豊ちゃんがお茶を出しました。
「おおきに。」
と言って、お春ちゃんはお茶を受け取りました。吉川さんは、お春ちゃんの食べっぷりにビックリしています。
「ああ、せや。今日なぁ、真っ赤な服着た女の人のチラシ入ってたわ。知事になりたいねんて。」
「あ、うちにも入ってたわ。そのチラシ。」
と、お豊ちゃんも言いました。
「オール大阪って何やろ?」
お豊ちゃんは、首をかしげながら言いました。
「そら、みんな大阪いう意味やで。オール言うんは、全部いう意味やからな。」
「全部が大阪?」
「そうや。お隣の奈良も京都も和歌山も、みんな大阪になる言うことや!」
「ああ、それでオール大阪……」
吉川さんが、へぇという顔をして頷きました。
「吉川さんのお宅にも?」
お豊ちゃんが、芳川さんに聞くと、
「ええ、真っ赤なチラシが入ってて、ビックリしたんですが……。知事選があったんですね。」
雨足が強くなってきました。
「たいへん。早く帰りましょう。」
「まあちゃん、傘、貸してくれへん?」
「お春ちゃん、この天気に傘持って来なかったの?」
まあばあちゃんは、目を丸くして言いました。
「忘れてしもてん。」
お春ちゃんは、バツの悪そうな顔で笑いました。
と言われても、まあばあちゃんは、シルバーカーにくっつけて使うので、二人で入ることが出来ません。予備も持っていません。
「お春ちゃん、私と一緒に入ろう。」
とお豊ちゃんが、お春ちゃんに傘をさしかけました。
「あ、おおきに、おおきに。」
とお春ちゃんは、嬉しそうにお豊ちゃんにくっつきました。
まだ、この間の事から、そんなに日にちも経ってないのに、お春ちゃんは、お豊ちゃんに酷い事を言ったのを忘れてしまったのでしょうか。
あれから、まだ病院には行ってませんが、
(お春ちゃんは、やっぱり……)
まあばあちゃんは不安になりました。
「あれ、この雨に、何眺めてるんや?」
お春ちゃんの指さした方向を見ると、まあばあちゃんに絵手紙をくださった女の人が、桜の木を見上げていました。和を感じるような地模様の上品な傘を差していました。
お春ちゃんの大きな声が聞こえたのか、こちらを振り向きました。
まあばあちゃんが、頭を下げると、丁寧に下げ返してくれました。
「知ってる人?」
お豊ちゃんが、まあばあちゃんに聞きました。
「ええ、朝によくお話するの。絵がとっても上手なのよ。吉川さんとおっしゃるの。」
そう言うと、まあばあちゃんは、
「こんにちは~。」
と、言いました。吉川さんは会釈をしてから、こちらに歩いて来ました。
「こんにちは。おとなしい雨はいいですね。」
「桜の葉っぱを?」
まあばあちゃんが聞くと、
「ええ、雨に濡れてる様子がきれいだなと思って、これくらいの雨だと、表情が豊かになる気がするんです。」
「え? 葉っぱに表情?」
お春ちゃんが、呆れた顔で言いました。すると、お豊ちゃんがすこし慌てた様子で、
「あの、私たち、これから、お茶にするんです。ケーキもあるので、一緒にいかがですか?」
吉川さんは、突然のお茶のお誘いに戸惑った様子で、まあばあちゃんを見ました。
まあばあちゃんがニッコリ頷くと、
「有り難うございます。宜しくお願いします。」
と言いました。
「お春ちゃん、オニギリ食べようか?」
「え? 持って歩いてるのん?」
お春ちゃんが、嬉しそうな顔をしました。
「違うわよ。帰りましょ。」
「散歩は? ええんか?」
「ちょっと、雨が強くなってきたし……」
「そうか? 変わらんと思うけど……」
確かにそうなのですが、お家でゆっくり話そうと思ったのです。
お春ちゃんのしてる事は、返って話をややこしくしてると思うのですが、家を守りたいという気持ちは、まあばあちゃんには、よく分かるからです。ジロもそう思うのか、歩く速さがゆっくりになってきました。
「あ! まあちゃん、お春ちゃん!」
「あら、お豊ちゃん」
「良かった、会えて。散歩?」
「そうなんよ。今から帰るところ。」
「ほんま?ちょうど良かった。ケーキを焼いてきたんよ。一緒に食べよう。」
「え? ケーキ? あんたが焼いたん? えらいオシャレなもん作れるんやな。」
お豊ちゃんは、嬉しそうに笑うと、
「まあちゃん、ミミちゃん抱かせて?」
「いいわよ。じゃあ、その大きな紙袋入れたら?」
「ありがとう。」
お豊ちゃんは、まあばあちゃんに紙袋を渡すと、ミミちゃんを抱き上げました。ミミちゃんは、フワフワとした顔でお豊ちゃんに抱かれました。
「わたしなぁ。昨日、まあちゃんトコでお昼食べた後、えらいキレイなホテルみたいなところに行ってきたんや。」
お春ちゃんは、嬉しそうに言いました。
「まあ、そう!」
まあばあちゃんは、施設の見学のことは、先に邦ちゃんに聞いて知っていましたが、お春ちゃんには驚いて見せました。その方が話しやすいと思ったからです。
「この頃なぁ。うちにえらいカッコのええ弁護士さんが来て、いろいろ話しに来はるねん。」
お春ちゃんは、自慢げに言いました。
「お春ちゃんは、その、ホテルみたいなところに行こうと思うの?」
「う~ん。」
「気に入らなかったの?」
「気に入ったで! ものすごい気に入ったけど……」
お春ちゃんは、下を向いてしまいました。
「でもなぁ、私があの家出たら、あの家、昭雄さんらに盗られるやろ?」
「弁護士さんは、なんて言ってるの?」
「そんなことは無いって言うてくれはるんやけど……」
「じゃあ、お春ちゃんの思うようにすればいいじゃないの……」
「う~ん。」
お春ちゃんは、迷っているようでした。
今日は、朝から雨が降っています。日課にしている、家の前の掃き掃除も休みです。
きっと、絵の上手なあの人も、今日のお散歩はお休みでしょう。
「どうしたの?」
庭から戻ってきたジロとミミちゃんが、ハタハタしはじめました。
「雨、上がった?」
まあばあちゃんが、そう聞くと、ジロとミミちゃんはさらにハタハタとします。
天気予報では、今日は一日中降り続くという事なので、
「そう、止んでるなら、今のうちに行っときましょう」
そう言って、まあばあちゃんは、慌てて支度をして外に出ました。
「あら、降ってるじゃないの。」
雨は、ほんの少しだけ降っていました。でも、これくらいなら、お散歩できます。
「また、たくさん降ってくる前に、帰りましょうね。」
まあばあちゃんは、お散歩に行くことにしました。
しばらく行くと、
「……ーん。まあちゃんて!!」
お春ちゃんの声がしました。
「あ、はい。」
見ると、前の方から歩いて来ます。
「もう! 何べんも呼んでるのに!」
「ごめんごめん、ボンヤリしてたわ。」
「どこに行くん?」
「雨が、小さいうちに、お散歩に行こうと思って。」
「せやけど、ちっこい方は、シルバーカーに入って寝てるやんか。」
「今日は、そうするみたいね。」
「この大きい方のンは、おとなしいて賢いな、いつも感心するわ。」
お春ちゃんは、まあばあちゃんに寄り添うように立っているジロを見て言いました。
「……お春ちゃんも、散歩に出てきたの? 一緒に行かない?」
「あ! 私な。おなか空いて、しゃーないねん。まあちゃんトコで食べさしてもらおう思てな。走ってきてん。」
「オニギリだったらあるわよ。」
「わあ! 嬉しいわ。早よ。食べさして。」
「この子達、今、出てきたばかりなの。朝から、ずっと、お散歩待ってたの。それからでもいい?」
「えー! 私より、この子らの事が先かいな。」
お春ちゃんは、不満そうに言いましたが、歩き始めたまあばあちゃんの後ろをついてきました。
まあばあちゃんが、今朝も家の前を掃いていると、愛媛から来られた女の人が、
「お早うございます。」
と挨拶してくださいました。
「あ、お早うございます。」
下を向いていて、気付かなかったまあばあちゃんは、慌てて頭を下げました。
「……あの、つまらないものですが、もらっていただけませんか?」
「え?」
女の人が、一枚の葉書をまあばあちゃんに差し出しました。
「まあ!」
まあばあちゃんは、その葉書を見て驚きました。
昨日の落ち葉を絵にしてありました。あの落ち葉が、こんな風になるとは驚きです。なんというか、葉っぱが二枚ならんでいるだけなのに、寂しいような懐かしいよな、くすぐったいような……とっても秋を感じます。
「これ、絵手紙って言うんですよね。」
「はい。」
「素敵ですねぇ。なんだか、人柄にじみ出てるようですね。」
女の人は嬉しそうに笑ってから、
「気に入っていただけましたか?」
「ええ、とっても!」
「良かった。……それは、はがきに書いてますから、言葉を添えて、お友達に送る事も出来るんですよ。」
「そんな、もったいない。……大切に飾らせていただきます。」
まあばあちゃんは、大事そうにそっと胸に当てて、何度もお礼を言いました。
「ちょっと、公園の紅葉も見てきますね。」
「ええ、とっても綺麗ですよ。」
女の人は、軽く会釈して、歩き始めました。
(四国から来られたのね……)
数日前から、挨拶を交わすようになった人です。
「今朝は暖かいですね。」
とか、
「毎日、落ち葉のお掃除大変ですね。」
とか、
「お散歩、お気をつけて。」
とか、
優しいなまりがあって、上品なのにどこか淋しげな面影が印象に残る人でした。
(お豊ちゃんより少し若いくらいよね。年老いてから見知らぬ土地に引っ越すって、気苦労が多いでしょうね。)
まあばあちゃんは、その人の後ろ姿を見送りながら思いました。
まあばあちゃんの視線に気づいたのか、その人は振り返って、会釈してくれました。
まあばあちゃんも慌てて頭を下げました。
とっても頭の低い人です。まあばあちゃんも見習わないと、と思いました。
「まあ、そうですか……。ご主人がこちらの方ですか?」
と、まあばあちゃんが聞くと、
「いいえ……。」
女の人は静かに笑って言いました。
「そうですか……」
まあばあちゃんは、どう話を続けて良いのか分からなくなってしまいました。
「ですから、まだ、どなたも存じません。もし宜しかったら、こうして出会った時にお声を掛けて下さいね。」
「こちらこそ、宜しくお願い致します。私はこの家の者です。来られたばかりだと、分からない事が多くて不便が多いでしょう。この町の事、なんでも聞いて下さいね。」
「はい。ありがとうございます。あの、その落ち葉をいただいてもいいでしょうか?」
と、まあばあちゃんが眺めていた落ち葉を差して言いました。
「え? ええ、どうぞどうぞ。落ち葉ならこの先の公園に、きれいなのがたくさんありますよ。」
と、まあばあちゃんが言うと、
「いえ、この落ち葉がいいんです。」
と言って、綺麗な真っ赤な楓と、虫食いだらけの桜の葉っぱを受け取りました。
「そうですか?」
まあばあちゃんは、不思議そうな顔をして、落ち葉を女の人に渡しました。
女の人は丁寧に落ち葉を受け取ると、手帳に挟みました。
女の子を送り出したまあばあちゃんは、ホッと一息ついて、また、道路を掃き始めました。
ヒラヒラ舞い落ちてきた落ち葉を集めるのは、なんだか楽しいものです。
虫にかじられたまま紅葉した葉っぱ、
ツヤツヤした赤い葉っぱ、
すだれの様な葉っぱもあります。
まあばあちゃんは、その中の一つを手に取って、眺めていました。
「美しい紅葉ですね。」
葉っぱを見つめてボンヤリしているところに、いきなり声を掛けれれてドギマギしました。
「え? は、はい。」
「すみません。いきなり声を掛けて、驚かせてしまいましたね。」
声を掛けてきた女の人はニッコリ笑うと、丁寧に頭を下げました。
「いえ、そんな事はありませんよ。この歳になると、声を掛けてもらうのは、嬉しいものです。」
まあばちゃんも丁寧に頭を下げました。
「私は、吉川と言います。三日前に四国の愛媛から、この町に越してきた者です。」
女の人はニコニコしながら言いました。
「靴を脱がしていい?」
「え? 靴、脱ぐの?」
「そうよ。」
女の子は、心配そうな顔をして頷きました。
まあばあちゃんは、女の子の側に自分のハンカチを置きました。それから、女の子の靴を脱がせると、
「そこのハンカチの上に立っててね。」
「ごめんね。ありがとう。おばあちゃん。」
女の子は申し訳なさそうに言いました。
まあばあちゃんは、紐を解きにかかりました。
「おばあちゃん、大丈夫? すごく固くなってるでしょ?」
「ちょっと待っててね。」
靴を脱いだら、紐の長さに余裕が出来て、簡単にほぐれました。
「さ、出来たわ。早く、行ってらっしゃい。」
まあばあちゃんが女の子の前に靴を置きました。
「わあ!! 有り難う。おばあちゃん! すごい!」
女の子がまあばあちゃんに抱きつきました。
「これこれ、早く行かないと、遅れるわよ。」
「うん。行くね。ほんとにありがとう! 行ってきまーす。」
「大丈夫!?」
慌てて駆け寄ると、女の子の靴ひもが自転車のタイヤに絡まってしまったようです。カバンも投げ出されて、道路に転がっていました。
まあばあちゃんは、カバンが車に引かれては大変と慌てて運びました。たくさん教科書が入っているのかとても重かったのですが、戦争中は重いものをたくさん運んだので、まあばあちゃんは、この歳になっても、まだまだ力持ちです。カバンを女の子の側に置くと、
「ありがとう。おばあちゃん、重かったんちゃう?」
女の子が申し訳なさそうに言いました。
「なんのなんの。まだまだ、力はありますよ。それより、ケガしてない?」
「ちょっと、打ったみたいやけど……、それより、紐はずさんと……、おばあちゃん、ハサミ貸してくれへん?」
「ハサミ?」
「うん。紐、切ろうと思うねん。」
「え? 切ってしまうの?」
まあばあちゃんは、驚いてしまいました。
「ちょっと見せて?」
まあばあちゃんは、女の子の側にしゃがむと、紐のからまった部分に手をあてました。
秋です。
まあばあちゃんの住む堺の町の木々も色づき始めました。
今年も、紅葉を見れそうで、まあばあちゃんは嬉しくなりました。
この歳になると、一日一日が大事です。
まあばあちゃんが家の前をホウキで掃いていると、高校生の娘さんが、
「おばあちゃん、おはよう!」
最近、ウォーキングを始めた近所のご主人が、
「おばあちゃん、いつも元気やね。」
と声を掛けてくれます。
まあばあちゃんは、
「お早うございます。お気をつけて」
と、挨拶を返します。
ガシャーン
大きな音がするので驚いて振り返ると、
高校生くらいの女の子が、自転車ごと倒れていました。
「お、なぐめてくれるんか?」
ヒメちゃんが、気を使って弁護士さんにそばえました。
「ヒメ! 毛がついちゃうでしょ。」
邦ちゃんが、慌てて言うと、
「かまいません、かまいません。大したもん着てませんから。」
と、弁護士さんが、ワハハと笑いました。
「でも……」
弁護士さんのスーツは、見るからに上等な感じがしましたが、弁護士さんは、気にする様子はなく、ヒメちゃんの頭を撫でていました。
お春ちゃんの事は弁護士さんにお任せすることになり、みんな一安心です。邦ちゃんは、特にホッとしているようです。
「あの~。弁護士さんは、柿好きですか?」
オッチャンは、恐る恐る聞きました。
「ええ、大好きですよ。」
「そうですか! あの……、もし、良かったらなんですけど、あの……」
オッチャンは、弁護士さんということで、どうも緊張が取れないみたいです。そこで、まあばあちゃんが、
「本田さんの庭になる柿はとっても美味しいんですよ。ね!」
「そうなんです。みんな、うまい言うてくれるんです。今度、みんなで、柿取りしませんか?」
と、オッチャンがやっと言いました。すると、樺山さんが、
「いいですね。次の日曜日はどうですか?」
「わしは、いつでも大歓迎です。」
「お前は?」
「空いてるで!」
という事で、来週は柿をみんなで取ることになりました。
「最期まで、母とお付き合いくださって有り難うございました。」
そう言うと、弁護士さんは頭を下げました。
「こちらこそ、あたたかいお手紙をたくさん頂いて、本当に有難かったです。」
まあばあちゃんも深く頭を下げました。
ミミちゃんの前のお家は、今は、マンションが建っていて、もう昔の面影はありません。
まあばあちゃんは、「私を見て!」と言わんばかりに、高い外塀を飛び越して、咲き誇っていた百日紅の姿を思い出しました。すると、弁護士さんが、
「あの百日紅は、今は小さくされましたが、あのマンションに植えられています。今も綺麗な花を咲かせています。」
「まあ、そうですか! 良かった。」
まあばあちゃんは、ホッとしました。あの百日紅がどうなったのかとても気になっていたのです。すっかり様変わりしてしまったので、まさかあの中に百日紅がまだあるとは思いもしませんでした。
「あ、この子がお預かりしたミミちゃんですよ。」
ミミちゃんがまあばあちゃんに前足をかけてきました。
「覚えてくれてるかなぁ。というより、どうも、難しいねんなぁ。」
弁護士さんは、ミミちゃんを抱き上げようとすると、ミミちゃんは、体を固くして、ウウ~っと唸りました。
そうでした。ミミちゃんのお母さんもミミちゃんは誰とも仲良くなれなくて、初めて懐いたまあばあちゃんとジロちゃんに託したのでした。
「はは、お前、嫌われてるなぁ。」
樺山さんが笑うと、
「うーん。男前が嫌いなんかもしれん。」
「よう言うわ。」
「もらいましょうか?」
と、まあばあちゃんが、言うと、
「すみません。」
と言って、まあばあちゃんにミミちゃんを渡しました。ミミちゃんは、ちょこんとまばあちゃんの胸の中に納まりました。