小さくなっていくお春ちゃんの背中を見送りながら、心配そうな怯えたような表情でお豊ちゃんが言いました。
「お春ちゃん、様子がおかしくない? 話が通じないというか……」
「……ええ……」
まあばあちゃんも感じていましたが、言葉にするのをためらっていました。この歳になると、その不安をいつも抱えているものです。
もしそうなら、これは、もう当人たちで解決するのは難しい事です。
「ねぇ、もしかして……、ここが……」
お豊ちゃんが自分の頭を差して言いました。まあばあちゃんは頷いてから、邦ちゃんに、
「邦ちゃん、お春ちゃんの事、お役所に相談してみない?」
まあばあちゃんは、目頭を押さえて泣いている邦ちゃんに言いました。邦ちゃんはまあばあちゃんの言葉に、ただ頷いていました。
「ここでは、なんだから家の中に入りましょう。」
まあばあちゃんは、邦ちゃんとお豊ちゃんを促しました。
「ありがとうな。まあちゃん。お豊ちゃん、お金ごめんやで……」
お春ちゃんは、どんよりした様子で言いました。その姿を見かねてお豊ちゃんがお春ちゃんの元へ駆け寄りました。
「お春ちゃん、もう行かんとき。あの家には帰らんとき。ゴハンかて食べてないんちゃう? こんなに痩せてしもて。な。」
「おはるちゃん、ここにいたら?」
まあばあちゃんが、言いました。
「有り難うな。せやけど、わたし、やっぱり帰るわ。」
「どうして? なんでよ? 楽しくないんやろ? エエこと一つもないって言うてたやんか!」
お豊ちゃんが強く言いました。
「あの家は、うちの人が頭金出して、邦子がローンを払った家や。私がおらなんだら、あの家は他人ばっかりになってしまうやろ。せやから行くねん。」
「お春ちゃん、家を取り返す方法なら、みんなで考えましょう。ね? 一人より二人よ。お春ちゃんを心配してる、みんなと考えましょう。」
「あかんねん。私、帰らんとアカンねん。」
「邦ちゃんのこと思ってるんなら、なおのこと帰らんとき。邦ちゃん、お春ちゃんのこと心配しすぎて倒れてしまうで。な、ここにおろ? な?」
「私、帰るから……」
お春ちゃんは、何を言っても帰るの一点張りで、話を聞きません。
話の受け答えも、どこか不自然に感じます。
「お春ちゃん!」
お豊ちゃんが、もう一度、強く呼び止めました。
「……帰る……帰る……」
お春ちゃんは、自分に言い聞かせているのか、まあばあちゃん達に言ってるのか分からない……、独り言のようにも聞こえる言い方で、何度もそう言いながら、車イスを押して帰って行きました。
「お春ちゃん、ほんまに……、ほんまに帰るの?」
お豊ちゃんが、イラついた様子で聞きました。
「せや、帰らんと、グズグズしてられへんわ。」
「なんで、そんなん帰らんでもええやんか!」
「あかんねん。帰らんと。あかんねん。」
「お春ちゃん!」
お春ちゃんは、よたよたと自分で車イスを押して、帰って行きました。
ボサボサの頭に、ヨレヨレの服。
なんともみすぼらしい後ろ姿です。
邦ちゃんが、堪らず駆け寄ろうとしましたが、まあばあちゃんがそっと止めました。
そして、まあばあちゃんがお春ちゃんに向かって大きな声で言いました。
「明日もおいでね。お茶しましょうね。」
お春ちゃんは、嬉しそうに振り返りました。
「じゃあ、先に着替えましょう。私のでいい?」
「うん。まあちゃん、センスええもん。嬉しいわ。」
「おはぎ食べる?」
「食べる食べる! おなか減ってんねん。まあちゃんのおはぎ大好きや!」
「良かった。さ、入って入って。」
「邦子、何を泣いてるんや?」
お春ちゃんは。不思議そうに邦ちゃんを見ました。
「お母さん、みんなでお茶にしましょう。」
邦ちゃんがそう言うと、お春ちゃんはハッと気が付いたように、
「あ……、でも、昭雄さんが待ってるから、帰らなあかんねん……」
「え?」
「どうして?」
「お母さん?」
みんなビックリしてお春ちゃんを見ました。昭雄さんに置いて行かれて、我に返ったと思ったのに、また、おかしなことを言い出すので驚いたのです。
「お春ちゃん、あんなとこ帰りたいの? 楽しいの?」
まあばあちゃんが、聞きました。
「楽しい事なんかあれへん。エエことなんか一つもないけど、帰らんとアカンねん。」
「なんで? なんでよ!」
お豊ちゃんが、詰め寄って聞きました。
「こんな年寄りに頼ってくれてんのに、ほっとかれへんやろ?」
その言葉を聞いて、邦ちゃんは、また涙を流しました。
「何がやねん。ほな行くわ。」
お春ちゃんは言いましたが、……なかなか歩き出そうとしません。
「お春ちゃん?」
お豊ちゃんが、また、心配そうに言いました。
「せやけど、あんたら、長い付き合いやのに、茶も出してくれへんねんな。こんな外で立ち話させて。」
「昭雄さんを連れてくる方がしんじられないわ。」
まあばあちゃんが言いました。
「あんたは、そればっかりや。ほな行くわ。」
お春ちゃんが、また言いました。すると、お豊ちゃんが、
「なんで、そんなこと言うん? あんなとこ帰って、幸せなこと絶対ないと思うわ。」
「ほっといてんか、ほな行くわ。」
さっきから、行く行くと言いながら、お春ちゃんの足は地面に縫い付けられたように、ちっとも動きません。
「お母さん! お母さん、あんな家にもう行かんといて! お願いよ!」
そう言ったのは、表に出てきた邦ちゃんでした。
「あ、え? 邦子? あんた、おったんやったら、なんで出てこえへんのや? 昭雄さん、お金がのうて困ってはるで。はよ、渡したらんと……」
「お母さん。もうあの人と私達は関係ないんよ。お母さん、こんなに痩せてしまって……」
邦ちゃんの顔は涙でクシャクシャになっていました。
「…………」
お春ちゃんは、下を向いて黙ってしまいました。
「お春ちゃん、オヤツ食べない? 久しぶりにお茶しましょう。」
まあばあちゃんが言いました。
「え? ええのんか?」
お春ちゃんの顔がパァっと明るくなりました。
「もう、昭雄さんの家には行ったらだめよ。」
「うん。行かへん。行かへん。行かへんで!」
さっきまで、昭雄さん昭雄さんと言っていたのに、突然、お春ちゃんは、機嫌よく返事しました。
「ま、今日はこれで帰るわ。邦子見つけたら、こっちに来るように言うてくれるか。」
「まだ、そんな事言ってるの? そんな約束できないわ。」
「なんでや?」
「邦ちゃんを不幸にするのが分かってるのに、出来るはずないでしょ!」
「母親が娘に頼って何が悪いねん!」
「お春ちゃんのは、そんなんじゃない。邦ちゃんから、お金も心の平穏もむしりとるつもりよ!」
「母親が困ってたら、娘が働いて支えるのが当たり前や。うるさい事言わんといて! 早う邦子に戻ってもろて働いてもらわんと。食べてかれへん。昭雄さんも大変や。」
「お春ちゃん、何を言ってるの?」
「はいはい。ほな、自分の足で帰りまっさ。」
そう言って、お春ちゃんは、車イスから降りようしましが、車イスが前後に動くのでうまくいきません。お豊ちゃんが慌ててハンドルを持ちました。昭雄さんときたらサイドブレーキもひかずに行ってしまったのですね。
お春ちゃんは、慎重に車イスから降りました。
車イスに座っている時から、どこか小さくなったように思いましたが、立ち上がると、本当に小さくなっていて驚きました。車イスを持つ手は筋張っていました。そして、どこかフラフラしながら立っています。
「お春ちゃん、大丈夫?」
お豊ちゃんが心配そうに言いました。
「昭雄さんが必要なお金は、昭雄さんが用意するべきでしょ。」
まあばあちゃんが言うと、お春ちゃんは、
「せやから、違う言うてるやろ!」
「じゃあ、どうして、邦ちゃんが必要なの! お春ちゃんが自分で出て行ったのに、勝手じゃないの。」
「せやけどな。お金がなくて困ってるんです。言われたら、身につまされるで。ホンマに……。なんとか力になったりたいと思うで……せやろ?」
「でも、お春ちゃん、昭雄さんに“汚い”とか“あっち行け”とか言われてたんでしょ。わたし、お春ちゃんに聞いたのよ。泣いてたじゃないの。」
「それが、今はええ人になってなぁ。お母さんお母さん言うてくれるんや。嬉しいで。あんな国立での賢い人に頼られたら、助けたりたいと思うで。まあちゃんは、冷たいから分からんやろけど……」
「それじゃあ、これからも、昭雄さんと一緒に生活していくのね。」
「そやで。国立大出やのに、高卒の邦子と結婚してくれはって、もっといい人もあったやろに。有難いこっちゃで……そやろ? ま、あんたは思わんか……」
「……お春ちゃん……」
まあばあちゃんは、何をいえば良いのか分からなくなってきました。
「今、ご飯する人おらんやろ? 洗濯とか掃除とかも溜まってるしな。大変なんや。ゴミ出しもしてへんから。ゴミ溜め場みたいになってるねん。そんなん、気の毒やろ? なんとかしたらんと……」
「それが、邦ちゃんを連れて行くことなの? 邦ちゃんは、お春ちゃんの娘さんだけど、お春ちゃんが、そんな事言っても昭雄さんが止めるべきなんじゃないの? 邦ちゃんは、再婚して、幸せに暮らしてるの! 昭雄さんは、人の奥さんを使う気なの?」
まあばあちゃんが聞くと、お春ちゃんは、ムゥッとして黙ってしまいました。
「邦子が、おったら、なんもかんも丸ぅに納まるねん。それを、あーだこーだと……」
「ちょっと、また、そこに話を戻すの?」
「せやかて、そうやんか! 邦子がおったら、お豊ちゃんやまあちゃんに、こんな恥かかされる事あらへん!」
「恥? 私たちが何をしたって言うの?」
「邦子がおったら、金に困って、借りに来るなんて事せんで済んだのに!」
「話にならないわね。もう帰って!」
まあばあちゃんが、家に入ろうとすると、
「ちょっと、待って。車イス押して行ってくれへんか?」
「同じような歳なのに何を言ってるの? ほんのそこまでじゃないの。ちょっとは運動しないと、血が固まって、本当に寝たきりになるわよ。車イスを杖がわりに帰りなさい。」
「ちょっと、まあちゃん、それは可哀想やわ。私送って行くわ。」
「駄目よ。そんなことしたら、またお金を借りに来るわ。それに、あの薄気味悪い女の人と昭雄さんのいる家に、近付きたくないでしょ。」
「それは、そうやけど……」
「あんた、日頃、優しぶってるけど、キッツイなぁ。」
お春ちゃんが感心したように、まあばあちゃんに言いました。
「あの女の人とその家族、昭雄さんを追い出してからよ。それまでは口も利きたくないわ。」
「あんた、そんな事言うけど、あの女の人も昭雄さんも可哀想な人なんやで。」
「可哀想? 可哀想なのは、邦ちゃんでしょ! 母親のお春ちゃんが、どうしてそんな事いうの!」
「せやけど、昭雄さんは国立出やのにお金に困ってるし、あの人かてそうや。昭雄さんの仕事を手伝うために、自分の仕事をやめてん。ところが昭雄さんの仕事がうまくいかんので、家賃が払えんようになってな。ほんで、こっちに住むことになったんや。こっちが苦労かけてるのに、お金払わんと悪いやろ。それで、毎月5万ずつ渡してるんや。そのお金かて、邦子がおったら、こんな苦労せんかて良かったのに……、ホンマに情けないわ。」
「さっきから、“邦子がおったら、邦子がおったら”って連呼してるけど、まさか、また、邦ちゃんをパートやヘルパーに出して、そのお給料を、あの女の人に渡そうって、そう言うとこなの?」
「え? や、そうやないけど……」
お春ちゃんは目を泳がせて言いました。
「……お春ちゃんを、置いていってしもた……」
お豊ちゃんがポツリと言いました。
その言葉を聞いて、お春ちゃんはカッとなって言いました。
「ち、違うで! すぐに迎えにくるわ。失礼なこと言わんといて!」
「そうね。こんなに尽くしてくれるお春ちゃんを置いて行くわけないわね。じゃあ、迎えに来るまでの間、お話しましょう。」
まあばあちゃんが、お春ちゃんにそう言うと、
「あんたらと話すことなんかないわ。」
お春ちゃんは、フンと横を向いてしましました。
まあばあちゃんは、一つため息をついてから、何度も聞いているけれど、まだ答えを得られていない質問を再びしました。
「ねえ、昭雄さんとあの女の人の関係は何なの? あの女の人のために邦ちゃんを追い出すくらい、昭雄さんにとっては大切な人なんでしょう? それなのに、結婚もしない。ところが、母親や子供は連れてきて一緒に住んでいる。事情を全く知らない人でも、異様にしか映らないと思うわ。ご近所の人に聞かれたりしない? お春ちゃん、人目を人一倍気にするほうなのに、平気なの?」
「今は、近所とは口きかんのや。」
これは、驚きです。誰彼なしに捕まえては、話を始めるお春ちゃんが、ご近所と話をしないなんて……
「寂しくないの?」
「昭雄さんが、話さんほうがええって言うねん。」
「昭雄さんの言いなりなの? あんな薄気味悪い女の人の言いなりになってる人の? 邦ちゃんを酷い目に合わせてばっかりの人の?」
「昭雄さんの事、悪ぅに言わんといて。」
「昭雄さんはお春ちゃんの年金に頼らないと生活できないんじゃないの? 今だって、お春ちゃんのツテを頼って、お金を作りに来たんでしょう? そんな人の言う事聞く必要あるの?」
お春ちゃんは、黙ってしまいました。
「どうして、邦ちゃんを大事にしないの。あんなにお春ちゃんを大事にしてくれるのに……」
「…………が、」
お春ちゃんが何か言いました。
「え? なに?」
「……邦子が、出て行ったのが悪いんや!」
女の人が領収書を持ってきました。それを昭雄さんが受け取り、お春ちゃんに渡しました。
「ほら、お豊ちゃん、受け取り持って来たったで。ほんまに長い付き合いやのに。細かいこっちゃ。」
「杉野さん、」
「なんやな。」
「このお金をお渡しする前に、約束して欲しい事があります。」
「あー! もう、なんやな! 早よ言いや!」
「これきり、縁を切りたいので、道で会っても知らん顔してください。」
「私かて、こんな薄情な友達いらんから、願ったりかなったりやわ。」
「では、15万円、お家賃としてお渡しします。」
お豊ちゃんが、丁寧なしぐさで、お金を渡しました。
お春ちゃんがそれを昭雄さんに渡すと、昭雄さんがお金を数え始めました。揃っているのを確かめると、お春ちゃんに頷きました。
「ほれ、しつこく言うてた、受け取りやで。」
お春ちゃんの差し出した領収書をお豊ちゃんが受け取った時、
「おい!」
昭雄さんが大きな声を出しました。
見ると、昭雄さんはお金を持っていたカッコのまま固まっていました。でもその手にはお金はありません。そして、女の人は、自転車を漕いで、どんどん行ってしまいました。
昭雄さんは慌てて、女の人が行った方向へ走り出しました。
「え? あ、昭雄さん、待ってぇな。昭雄さん! ちょっと!」
お春ちゃんは、昭雄さんを呼び止めようと必死に叫びましたが、置いて行かれました。
「なんや、なんや。何を話してたんや。」
お春ちゃんが、聞きましたが、お豊ちゃんはそれには答えず、
「杉野さん、このお金を渡したら、美容院に行って、髪を切ってきてね。」
「はあ? なんで、そんな事あんたに言われなアカンの。あんたなんか連れ子に放り出されて、ノミだらけやったくせに……。ホンマすごかってんで。昭雄さん、ビックリすんで……」
そう言って、プイッと横を向きました。
あんなに、身なりに気を使っていたお春ちゃん、今はいつお風呂に入ったのか、髪はボサボサで、伸び放題です。対するお豊ちゃんは、上品な白のブラウスとシンブルなベージュのパンツ。バッグは使いやすそうで、オシャレなツーウェイバッグです。樺山さんの見立てでしょうか、色白で日本的美人なお豊ちゃんには良く似合っていました。おばあちゃんになっても、なかなかにキレイです。
「せやけど、なんやな。あんた、ホンマに宝くじかなんか当たったんやろ? エライ派手なカッコして、なんやその頭、白髪に紫の染粉なんかして、水商売の女みたいや!」
お春ちゃんは、嫌味っぽく言いましたが、悔し紛れに言っているようにしか聞こえませんでした。
「ほな、昭雄さん、すまんけど、受け取り持って来たってくれるか。この人こればっかり言うよって……」
お春ちゃんがそう言うと、昭雄さんが女の人を見ました。女の人は、つまらなそうな顔をして自転車をこいで行きました。
来た時とは全く違い、グイグイ漕いで行きました。女の人がいきなり道を横切ったので、驚いた車が、パッパーっとクラクションを鳴らしましたが、女の人はチラッと車を見ると、フンとして行ってしまいました。
「ちょっと、ちょっと、お豊ちゃん、こっちに来て!」
まあばあちゃんは、お豊ちゃんを引っ張って、少し、お春ちゃんと昭雄さんから離れた所に引っ張っていきました。
「そんなの払う必要のないお金よ。どうして!」
「それがね、まあちゃん、お春ちゃんが言ってたことはあれだけじゃないんよ。」
「え?」
「お春ちゃんは、私が聞いてないと思ってたんかもしれへんけど、あの大きな声だから。もう、お春ちゃんをみんな振り返って見てたわ。」
まあばちゃんも想像がつくので、黙って頷きました。
「“昭雄さん! あそこ歩いてるの見てみ! 隣に住んでた田岡さんや。田岡さんはな、私に世話になってるのに礼も言わんし、お金返せへんから難儀してる”って、大きな声で言って歩いてんの。他にもいろいろ言うてたわ。その時、マコちゃんも一緒にいたんよ。このお金は、マコちゃんから、きちんとケジメをつけるためにと、渡されたお金なのよ。」
お豊ちゃんと樺山さんとで決めたことなら、まあばあちゃんは見守るしかありません。
「あんたが、こないに冷たい人やとは思わんかったわ。自分が困ってる時はついて回って、私が困ってるときは追い返すんかいな。ほんま親切なんてするもんやないわ。」
お春ちゃんは、悔しそうに言いました。
「……お春ちゃん、3か月分のお家賃、払います。」
お豊ちゃんが、唐突に言いました。
「え? ほんま? 家事、頼んだことはええのんか?」
「それは、今後のお春ちゃん次第です。」
「なんやその言い方、薄気味悪いやんか……」
「それと、領収書をください。そうでないと、渡せません。」
「今か、今、くれるんか?」
お春ちゃんは、パアッと嬉しそうな顔をしました。
「ええ。」
「あんた、そんなお金どないしたん。盗んできたんか?」
お春ちゃんは、上目づかいにお豊ちゃんを見ました。
「お春ちゃん達と一緒にせんとって。それより領収書をちょうだい。でないと、渡さへんよ。」
「あんたにしては、えらい気ぃ回るな。」
「……お春ちゃん、その日、お春ちゃんがスーパーに来てたの、私、知ってるんよ。後ろから見られてたのは気づかへんかったけど、大きな声で昭雄さんと話してたから。」
「なによ。私の声は大きいないで!」
お春ちゃんは、カッとなって言いました。
お豊ちゃんは、お春ちゃんの口マネをして言いました。
――――「いやぁ、ビックリするわ。あのバアサン、家賃踏み倒して、あんな買い物してる。」
「お母さん、ほんまやったら月十万くらい貰わなあきませんよ。」
「でも、家事から何からしてもうたから、そら殺生やわ。月5万くらいやろ……」―――
「……昭雄さんとこんな話をしてたでしょ。」
お春ちゃんは、黙ってしまいました。
「領収書を用意してください。杉野さん。」
お豊ちゃんは、静かな口調で言いました。
「なにをゴチャゴチャしてんねん。さっさとしてや!」
「お前、帰っとって。な。」
昭雄さんは、念を押すように薄気味悪い女の人に言いましたが、
「なんでよ。帰りたいときに帰るわ。」
まあばあちゃんは、ある意味で感心しました。
昭雄さんも無神経ですが、自分たちのした悪行を聞かされると、少しは居心地の悪そうな様子を見せます。しかし、この女の人は、まったく動じる様子がありません。
腹が立つとか、苛立つとかそういったこともありません。
ただ、昭雄さんとお春ちゃんが、なかなかお金を工面できない事に苛立っているのは、よく伝わってきます。それでいて、自分で何かをする様子は全くありません。昭雄さんを急かせるだけです。昭雄さんが急かされると、お春ちゃんも焦った様子を見せます。
「なんでも、ええから、早よしてよ!」
女の人は、イライラした様子で言いました。
「わたし、出て行ってもらうなんて言うてへんし、お豊ちゃんを使いまくってなんかおらんで! 話作らんといて!」
お春ちゃんは、カッとなって言いました。
「それなら、私の聞いてた通り、お春ちゃんは、寂しいからお豊ちゃんを呼びに来たのよね。家賃ウンヌンの話も無かったてことね。そういうことでいいわね?」
まあばあちゃんがお春ちゃんに言うと、お春ちゃんは顔をしかめて言いました。
「長年付き合ってきた友達に、ようそんなん言えるわ。私、今、困ってるねん。あんたら、最近、金回り良さそうやんか? そんな私に融通したろうとは思わんのか?」
さっきまでの勢いが治まって、今度は可哀想ぶった口調になりました。
「なあ、あんた、宝くじかなんか当たったやろ?」
お春ちゃんは、お豊ちゃんに尋ねました。
「え?」
お豊ちゃんは、お春ちゃんの言ってることがよく分かりませんでした。
「あんた、この間、スーパーで、高い肉買うてたやんか。うちら、あんな肉、しばらく食べてないわ。あんた、後ろに私らおったん気ぃ付かへんかったやろ……。ちゃーんと知ってるねんで。なぁ昭雄さん。……せやから、あんたに頼みに来たんや。あんたは、わたしに恩があるはずやで。」
「お春ちゃん、本当の友達は、そんな事言わないわ。それに、お春ちゃんは、昭雄さんのお世話になると決めて、邦ちゃんの家を出たのでしょう? お金の工面は昭雄さんがする事でしょう。事業がうまくいかないなら、職安に行って仕事をお世話してもらったらいいでしょう。邦ちゃんや私たちを当てにするのは間違ってるわ。」
「邦子は、娘やで? 娘をアテにして何がオカシイの? お豊ちゃんかてそうや。長年隣同士に住んでて、昨日今日の付き合いやない。まあちゃんより古い付き合いや。」
「あのね、お春ちゃんに恩があるのは、昭雄さんでしょ? 先に昭雄さんに返してもらったら? 一生かけても返せないくらい、昭雄さんにしてあげてると思うわ。そうでしょ?」
「昭雄さんも今、大変やねん。もうちょっとで、仕事もうまいこといくし、うるさい事は言いとうない。」
お春ちゃんは、プイッと横を向いてしまいました。
「ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。まあおばちゃん、お豊おばちゃん、あなた……、本当にごめんなさい。」
お春ちゃんの言葉を聞いて、泣き崩れる邦ちゃんを、オッチャンは優しく抱きしめました。
「気にすることない。みんな邦ちゃんが一番辛いって分かってる。」
「あんたが、困ってるとき、食べさしたったんは私やで。今すぐ払って! ホンマやったら、アンタのほうから来るのが礼儀なんやで!」
「そんな事言うなら、家政婦代、払ってよ。お春ちゃん」
「は? なんやて!?」
お豊ちゃんの言葉に、お春ちゃんはイラついた様子で言いました。
「だって、そうやん。家に置く代わりに家事をしてやって、お春ちゃん、言うたやん。手を抜いたら、出て行ってもらうって。」
まあばあちゃんは、初めて聞く話に飛び上がりました。
「なんですって。お春ちゃん、淋しいから、お豊ちゃんに一緒にいてほしいって、頼みに来たんじゃないの……」
まあばあちゃんが思わずお春ちゃんに言いました。お春ちゃんは目を合わせませんでした。お豊ちゃんはさらに続けます。
「追い出さずに、家に置いてくれたんは、私の仕事に満足してくれたからやろ?」
お春ちゃんは、返事をしません。
「それやったら、……家賃を払えって言うんやったら、家政婦代、払ってちょうだい。この間、チラシで見かけたけど、2時間で5千円程らしいやん。洗濯も掃除もお料理もキチンとしたし、……お春ちゃんが、夜中にコーヒー飲みたい言うた時も、足をさすって言うた時も、……いつでも、どんなことでも、一生懸命したつもりよ。」
お豊ちゃんの言葉に、お春ちゃんは一言も返しませんでした。
まあばあちゃんとお春ちゃんが押し問答していると、薄気味悪い女の人が自転車 をあっちにフラフラ、こっちにフラフラふらふらさせながら、通りの向こうからやって来ました。
邦ちゃんを追い出してまで居座っているのに、昭雄さんと結婚もせず一緒に暮らしている女の人です。
「あんた! 金の工面にいつまでかかっての! 何さしてもドンクサイな!」
昭雄さんを見るなり、怒鳴りつけるように言いました。
「ちょっと待ってくれるか。お前は家に帰っとき。」
昭雄さんに家に帰るように言われたのに、ペダルから片足を降ろして自転車を停めました。あんな言われ方をされた上に、返事もしないその女の人に、昭雄さんは、ヘラヘラと笑って答えていました。
「まあちゃん、どなたがみえたの?」
お豊ちゃんは、お春ちゃんが来たことを知っていましたが、あえてそう言いました。そう言う方が、お春ちゃんと距離を置きやすいと思ったのです。
「お豊ちゃん、どうして出てきたの……」
お豊ちゃんは、責めるような目で見るまあばあちゃんに、安心させようとニコッと笑いました。
「なんや、お豊ちゃん、おったんかんいな! あんた、それやったら、早よ出て来てくれんと、困るやんか!」
思った通り、お春ちゃんはお豊ちゃんに高圧的な口調で言いました。
お豊ちゃんは、黙ったまま、お春ちゃんを見つめました。
「あんた、15万払って!」
お春ちゃんは、いきなりそう言いました。
「藪から棒に、なんやの?」
お豊ちゃんが言うと、
「分からんのかいな! ほんまにアンタはアホやな! 家賃やんか! 3か月ほど住ましたったの忘れたんか? ホンマやったら、ひと月10万ちゅうとこやろけど、長い付き合いやし5万にしといたるわ。そやから全部で15万や!」
と、馬鹿にした口調で言いました。
「お春ちゃん、何言ってるの!」
まあばあちゃんが思わず言いました
「なによ。文句があるなら、まあちゃん、お金貸してくるの? 貸してくれへんのやった黙っとって!」
町内に響き渡るような声で、お春ちゃんは言いました。
「邦子おばちゃん、ダメ!!」
その頃、家の中では、今にも飛び出しそうな邦ちゃんをオッチャンとトモちゃんが止めていました。
「邦ちゃん、邦ちゃんが行っても話がこじれるだけ、まあちゃんの頑張りが無駄になってしまう。」
お豊ちゃんが邦ちゃんの前に立って言いました。
「でも、まあおばちゃんが心配で……、母がまた迷惑をかけてると思うと……」
まあばあちゃんの声はよく聞こえないのですが、声の大きなお春ちゃんのおかげで、話の内容はよく分かりました。
「邦ちゃんはここにいて、私が行くわ。」
お豊ちゃんが、キリッとした様子で言いました。トモちゃんが驚いて、
「お豊おばあちゃんも行かないほうがいいよ。お春おばあちゃんは、お豊おばあちゃんを馬鹿にしてるもん。いつも上から目線で。きっと酷い事、言われるよ。」
トモちゃんの言葉に、お豊ちゃんは頷いて言いました。
「だからこそよ。逃げてばかりではダメ。戦わないと……」
「でも……、せっかくおばあちゃんが、あんなに頑張ってるのに。無駄になっちゃうよ。」
トモちゃんは、一生懸命に引き止めます。
「何言ってるの。加勢しないと! そうでしょう。トモちゃんも、まあちゃんのこと心配でしょ? 昭雄さんも来てるみたいやし……。それに、お金の無心に来てるんなら、お金を手にするまで絶対に帰らへんわ。一人じゃ、無理やよ。」
トモちゃんは、心配そうにお豊ちゃんを見ています。
「この町に住んでる限り、いずれは樺山さんのところに住んでることは、知られるやろうし。あの図々しさやったら、いきなり樺山さんの家に押しかけてくるかもしれへんわ。樺山さんに迷惑かけないためにも、お春ちゃんとの縁をしっかり切る必要があると思うんよ。」
そう言ったお豊ちゃんは、大切な人を守るために戦うという目をしていました。
「ちょっ、ちょっと、待って! まあちゃん、待ってぇな。」
あんまり必死に呼び止めるので、まあばあちゃんは、扉を開ける手を止めました。
「なに?」
まあばあちゃんが尋ねると、お春ちゃんはバツの悪そうな顔をしました。
「そんな怖い顔せんと……」
春ちゃんは卑屈な表情で笑いました。
「さっきの話なら、答えは同じですから。」
「ちゃうねん。お金貸してほしいねん。」
「お金!?」
「困ってるねん。年金もまだ先やし……。まあちゃんやったら、娘夫婦と住んでるから、余裕あるやろ? な、10万貸して、お願いこの通り!」
「なんて……なんて情けない事いうの……。もう、帰って……」
まあばあちゃんは、ビックリしてそれだけ言うのがやっとでした。
「ほな、8万円でええわ。な! な!」
お春ちゃんは、ひときわ大きな声で言うと、まあばあちゃんに手を合わせて、必死に拝む格好をしました。
さっきの、邦ちゃんやお豊ちゃんのことを言う様子から察するに、きっと、お金を渡すと、目の前では大げさに喜んでみせて、帰り道に舌を出しているのでしょう。そして、悪びれもせず再びお金の無心に現れるのでしょう。
「縁を切ったというのに、何を言ってるんですか? 貸すお金などありません。」
まあばあちゃんは、お春ちゃんと昭雄さんを睨みつけて言いました。
「ま、まあちゃん、そんな薄情なこと……」
お春ちゃんは、取りつく島のないまあばあちゃんに、ビックリしたように言いました。
「……お帰り下さい。」
まあばあちゃんは、お春ちゃんを見据えて言いました。
「……なに、言ってるの?」
「せやからな、邦子は好きにしたらええねん。なんも気に病む事あらへんねん。」
「お春ちゃんも、昭雄さんにお金むしりとられて、丸裸にされたって泣いてたじゃないの。邦ちゃんが家を追い出されて、お春ちゃんの所に戻ってからも、隣に住んでるのをいいことに、昭雄さんが邦ちゃんを使いまくるから、住んでられなくなって家を手放すことになったって泣いてたじゃない。」
まあばあちゃんは、昭雄さんがすぐそばにいるのも忘れて言ってしまいました。ハッとして、昭雄さんを見ましたが、別に気に障った様子はありませんでした。
まあばあちゃんには、それが返って空恐ろしく感じました。
「でもな、事業ってお金がかかるし、忙しいもんやろ? 邦子の手を借りたかったんやと思うわ。」
あの時、お春ちゃんは、家を失ってあんなにガッカリしていたのに、今は、ケロッとしています。長年住んでいた家さえ手放すことになったのに、そんなふうに割り切れるものでしょうか? まあばあちゃんにはとても信じられませんでした。
「あ、あのねぇ……。……じゃあ、女の人の事は? 奥さんがいるのに、女の人を連れて来て、自分の奥さんに、その女の人の世話をさせるなんて異常じゃないの。」
「せやから、……それもな……、ちゃうねんて……、どない言うたら分かるんや……」
お春ちゃんも、言い訳が思いつかない様子だったので、まあばあちゃんは、言葉を続けました。
「今は、連れてきた女の人の母親と子どもまで入り込んでるんでしょう! 女の人の給料を払えなくて、邦ちゃんがパートに出てる時も、昭雄さんたちは、イスを温めてただけでしょう?」
「え? なに、イスを温めるって何?」
お春ちゃんは、キョトンとしました。昭雄さんは少しだけ嫌な顔をしました。
「椅子に座って天井を眺めてるだけでも、イスは温まるって意味よ。何も仕事をしてないって意味よ!」
「そんな事ないで、パ……えーっと、そう! パソコンの画面見て一所懸命やってはるで。」
「頑張ってるというなら、証拠を見せて。邦ちゃんに慰謝料払ってちょうだい。そんな、どこの誰ともわからない人の身の回りの事をさせられて。邦ちゃんがどれだけ苦しんだか。お春ちゃんは、一番近くで見てたはずよ!」
少しは覚えているのかお春ちゃんは、ムゥッとした顔をして黙りました。
「今はね、邦ちゃんは、誠実で優しい人と結婚して幸せに暮らしてるの。もう二度と訪ねて行かないで。私の家にも二度と来ないで。道で会っても知らん顔してちょうだい。」
「……ま、まあちゃん……」
お春ちゃんは、まあばあちゃんに言われたことがショックだったのか、涙目になっていました。
「なんで?」
お春ちゃんは、意外そうな顔をしました。
「な……なんでって……」
「家もお金もない、お豊ちゃんを引き取る言うてるんやで、まあちゃんに感謝されこそすれ、そんなん言われることないわ。」
お春ちゃんは、いぶかしそうに、まあばあちゃんを見て言いました。
「別に、家の事する人は、お春ちゃんの所にもいるでしょ。」
「え? 誰?」
「邦ちゃんを追い出して居座ってる、あの女の人にお世話してもらったらいいでしょ。」
「あの人はアカンねん。」
「なにがアカンのよ。」
「あの人はな、お嬢さん育ちやねん。」
「お、お嬢さん? お嬢さんが、人の家を乗っ取るの? お嬢さんて言うのは、礼儀正しくて、奥ゆかしくて、何もかも揃った娘さんのことを言うのよ。」
「まあまあ、そんなにカッカしたら、血圧上がるで。それにな、まあちゃん、誤解してるで。」
「なにを誤解してるのよ。」
「邦子は、別に追い出されたんちゃうで。邦子が勝手に出て行ったらしいわ。」
まあばあちゃんは、開いた口が塞がらなくりそうでしたが、なんとか言葉を続けました。
「わたしは、お春ちゃんから追い出されたって聞いたのよ。」
「わたし、そんなん言うてへんで。」
お春ちゃんは、澄ました顔で言いました。
「本気で言ってるの?」
「ホンマやもん。」
まあばあちゃんは、すぐには、次の言葉が出ませんでした。
「…………でも、あの女の人は昭雄さんと結婚したんでしょ? だったら、その人が家事をするのが普通じゃないの。お嬢さんって言うなら、誰かを雇ったら?」
「昭雄さん、結婚なんかしてへんで。あの人もな、邦子が帰って来たいときはいつでもどうぞって、言うたはるんやで。」
お春ちゃんの言い方は、まるで、いい事を教えてあげてるような感じでした。
「それにな、お豊ちゃんかて、まあちゃんの家におったら、肩身狭いやろ?」
お春ちゃんは、何を言っているのだろうと、まあばあちゃんは首をかしげました。
「え?」
「やることも無いのに、世話になってても、シンドイやん。」
「なんの事?」
いきなり、何を言い出したのか分からず、まあばあちゃんは戸惑いました。
「せやから、私の所に来たら、家の事さえしてくれたら、食べるのに困らへんやん。これは、ええと……ギブ……ギブ、ええと……」
「ギブ・アンド・テイクですよ。お母さん」
昭雄さんが、お春ちゃんに言いました。
「そう、それ、ギブ・アンド・テイクや。」
「お春ちゃん、まさか、……邦ちゃんか、お豊ちゃんを連れて行って、家の用事させようと思って、訪ねてきたの?」
まあばちゃんは、驚きと怒りで声が震えていました。
「まあ、邦子は難しいやろ? 再婚したしな。でも、お豊ちゃんやったら、家もお金もないし。お豊ちゃんにも悪い話やないと思って。まあちゃんかて、ただ飯食いがおったら、家族に顔さしてるんちゃうん?」
なんという言いようでしょう。
「お春ちゃん、邦ちゃんが昭雄さんにされたことを、今度はお春ちゃんがお豊ちゃんにするの?」
「え?」
「お春ちゃんの後ろにいる昭雄さんは、妻である邦ちゃんに、自分が連れてきた女の人の世話を何年もさせた上に雨の日に追いだした人よ。移り住んだ家のポストに、むき出しの離婚届をポストに入れて、邦ちゃんと離婚した人よ。今度は、お豊ちゃんが自分よりも弱いのをいいことに、好きに使いまくろうというの?」
「そんなんちゃうって!」
お春ちゃんは、とんでもないというように、両手を振りました。
「どこが違うの! 邦ちゃんは、お春ちゃんの大事な娘なのよ! その娘に辛い思いさせた人達と一緒に住んでるって事だけでも信じられないのに! 今度は、なに? お豊ちゃんに邦ちゃんと同じことさせるですって? お春ちゃんの頭はいったいどうなってるの!?」
「か……、か、か、帰れ?」
まあばあちゃんの言葉に、お春ちゃんの声は震えていました。
「お帰り下さい。お話することは何もありません。」
「まあちゃん、長い付き合いの友達が久しぶりに訪ねて来てんのに、よくも、まあ、そんな事が言えるなあ? どないしてるか心配にならんのか?」
「杉野さん、自ら望んで行ったのに、何を心配するというのです。早くお帰り下さい。」
まあばあちゃんは、きっぱりと言って軽く頭を下げると、家の中に入ろうとしました。
「ちょっ、ちょっと、ちょっと待って、な、お豊ちゃん、お豊ちゃんに挨拶だけさせて、
な? そのくらいはエエやろ? まあちゃんは、きついけど、お豊ちゃんは、優しいから、会いたがってると思うねん。」
「お豊ちゃんも、自分の娘の邦ちゃんをあんな目にあわせる杉野さんを信じられないと言っていましたよ。」
「なあ、まあちゃん、ちょっとで、エエねんて……」
この様子だと、お豊ちゃんが、今、樺山さんの所にいることを知らないようです。まばあちゃんは、お豊ちゃんが、今もここにいることにしようと思いました。
「なんの御用ですか? 今は出かけています。……私が聞いて伝えておきますから、その上で、お豊ちゃんが、決めるのならいいでしょう?」
今は、いないと聞いて、お春ちゃんは苦い物でも食べたような顔をしました。それから、
「今は、年寄りが私一人やろ? 寂しいねん。お豊ちゃんに話し相手になってもらえたらと思ってん……」
お春ちゃんはションボリして言いました。
「お春ちゃん……」
まあばあちゃんも心の中では、あんな人たちといて、どんな暮らしをしているのか心配しているので、ションボリしたお春ちゃんを見て心が痛みました。