五目飯を届けて

フウっとため息をついて、お春ちゃんはお箸をおいてしまいました。
「お春ちゃん?」
「なんや、心配で喉通らへんわ。邦子が出て行ってしもた時みたいや。」
とお春ちゃんは、言いました。とは言うものの邦ちゃんの時はそうでもありませんでした。邦ちゃんの憎まれ口を聞きながら、パクパク食べていました。お春ちゃんも邦ちゃんが優しい人の元へ行ったことを、本当は分かっているからでしょう。
でも、今回は違います。お豊ちゃんは、きっと危険な状況に違いありません。
「今日の、ご飯はお豊ちゃんの好きな五目飯やな。ここにおったら嬉しそうに食べてるで……」
「わたしも、お豊ちゃんに食べてもらえたらと思って、お春ちゃんの所に来る前にお豊ちゃんの家に、五目飯を届けてきたの。」
「ええ! ほんで? どないやった?」
「呼び鈴を押したら、昨日の女の人が出てきたわ。『お豊ちゃんと一緒に食べて下さいね』って言ったら、『すまんね』と言って、取ってくれはったわ。」
「普通、そこは『有り難うございます』やろ?」
「……でも、受け取ってもらえないかもって思っていたから、ホッとしたわ。」
「まあちゃんの事やから、たんと持って行ったんちゃうん?」
「ううん。前にお豊ちゃんに聞いた話だと、娘さん夫婦とお孫さんが来てるってことでしょ? だから3合くらいかな」
「あのな。お豊ちゃん所に来たのは、全部で5人 やで、しかも昨日のうちにみんな来てたらしいわ。」
「ええ!! 5人!?」
まあばちゃんは飛び上がって驚きました。

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ため息


お昼になりました。
まあばあちゃんは、お春ちゃんの顔を見るなり一番に聞きました。
「お春ちゃん、昨日、どうだった?」
「アカン。会われへんかったわ。」
お春ちゃんが、ションボリして言いました。
「私もよ。朝の散歩でも寄ってみたんだけど、ダメやったわ。」
まあばあちゃんは小さくため息をつきました。
「私もなぁ。朝からも行ってみてん。ほんだら、会長さんと警察が来てはってな、びっくりしたわ。」
まあばあちゃんが行った時は、時間が早すぎて誰もいませんでしたが、お春ちゃんの時は、会長さんも、おられたのですね。
「お豊ちゃんとお話しできたみたい? ケガの事きちんと聞けた?」
「それがな、お豊ちゃんは、やっぱり自分がウッカリして階段から落ちたの一点張りで、話しにならんかったそうやわ。ところがよ……」
お春ちゃんは言いよどみました。
「なに?」
「昨日より、アザが増えてるような気がするって会長さんが言うねん。」
まあばあちゃんは、ビックリして飛び上がりました。
「そ、そんな……。」
「でも、会長さんも、昨日は驚いてしもてて、しっかり見てないし、気のせいかもしれへんって言うねんけど……、わたし、会長さんの言う事あってると思うねん。」
「……お豊ちゃん、その様子じゃシップの一つも貼ってもらってないんじゃないの?」
「チマッと貼ってあったらしいけど、病院に連れて行くどころか、シップすらまともにしてもうてないんやで……。心配やわぁ。……それになぁ……」
「どうしたの?」
「私、まあちゃんに謝らなアカンねん。まあちゃんに偉そうなこと言うてたけど、まともに見張りも出来へんかったわ。この暑さやろ? 10分もたたんうちにシンドウなってきて帰ってきてん。ごめんな。」
「ううん。私もよ。私も行くのは行ったんだけど、長い事は無理やったわ。歳いくとアカンね。どうも根が続かないわ。」
二人はお昼をテーブルに並べたまま、箸をつける気にもなれず、ため息ばかりついていました。

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お春ちゃんも心配してる


「なぁ、まあちゃん、……お豊ちゃん、どないなるんやろ……。あの大女、見るからにおっとろしい感じやで。お豊ちゃんが、ヨロヨロしてても助けにもいかんと、偉そうに腕組みしてボサッとしてたもん。ちょっと心のある子やったら、すぐに介添えするで……。気になるわぁ……。」
まあばあちゃんも頷きました。
「かと言って、お豊ちゃんの態度もはっきりせんしなぁ……。どないしたらええんやろ……」
まあばあちゃんも良い案が浮かばず、黙っていました。
「なぁ、まあちゃん、私、ちょっと一服したら、お豊ちゃんの家を見張りに行くわ。そんで、お豊ちゃんが出てきたら、事情を詳しく聞くわ。」
「そうね、私も行くわ。」
「まあちゃんは、家の用事があるから忙しいやろ。用事の合間見て様子を見に行ってよ。それにバラバラに行った方が、会える確率が上がると思うねん。」
「ホントだわ。そうするわ。」
まあばあちゃんは、お春ちゃんのアイデアに感心したように言いました。
「ほな、お豊ちゃんに会えたら電話する事にしよう。もしかしたら、うまく連れ出せるかもしれんし。そうなったら、もう家に帰さんとこう。さっきは、ビックリしすぎて頭が回らんかったわ。」
お春ちゃんは、お豊ちゃんが暴力を受けていると決めつけています。でも、まあばあちゃんもそんな気がしてならないのでした。
「じゃ、わたし、洗濯物を取り込んだら、行くわ。もう、お掃除は済んでるの。」
「あんたは、よう動くなぁ。わたしなんか、掃除は昨日やったから、今日はせぇへんつもりやで……」
お春ちゃんは、呆れたように言いました。それから、
「でも、こんなん言うてたら、またお豊ちゃんに、『また、あんたは!』って怒られるなぁ。」
と言って笑いました。
「わたし、お豊ちゃんに小言を言われるたびに言い返してるけど、ホンマやなってよう思うねん。私の事を思てくれてるから言うってくれてるんやなってことも分かってるねん。」
「お春ちゃん……」
お春ちゃんの目は涙ぐんでいました。

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お豊ちゃんが心配


大柄な女の人は、お豊ちゃんが家の中に入って行くのを確かめると、
「ほな、もうええね!」
と言って、まあばあちゃん達を睨みつけてから、家に入って行きました。
「会長さん、お豊ちゃんのケガ、階段から落ちたって、ホンマと思いますか?」
会長さんは首をひねりました。
「わたし、ウソや思いますねん。お豊ちゃん、殴られたりしてるんと違いますやろか?」
会長さんは、難しそうな顔をしていました。
「この歳になったら慎重に慎重を重ねて階段の上り下りするし、まして、あの丁寧なお豊ちゃんが、階段から落ちるなんて考えられへん。あんな顔に青アザだらけって……、おかしいと思いますねん。」
「わしも、おかしいと思う。今から、警察に相談してくるわ。」
「そないしてくれますか? 私が行ってもええけど、会長さんの方がお話上手やし。頼みます。」
「ほな、今日は、家に戻って下さい。また、何か分かったら、連絡しますわ。」
「おおきに。会長さん。わたしらも気ィ付いたことあったら、お話しに行きますわ。」
と、互いに頭を下げあって、別れました。

「なぁ。まあちゃん、どない思う? お豊ちゃん、娘や言うてたな。あれが、死んだ旦那の連れ子かなぁ。」
「…………お豊ちゃん、ひどく怯えてたわね。」
「そやねん。それが気がかりなんやわ。もし、うちらが思ってるように、手ぇ上げられてるんやったら、早いとこ助け出さんと……。でも、まあちゃんが、うちにおいでって言うた時、なんで行くって言えへんかったんやろ。」
「お豊ちゃんは、優しい人やから、遠慮して言えないのかも。……無理にでも連れ出せばよかった……」
まあばあちゃんは、お豊ちゃんが、今頃、酷い目に遭わされてるかもしれないと思うと、心配でたまりませんでした。

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アザだらけ……


「お、お豊ちゃん……!」
「……まあちゃん!」
「どうしたの? その顔!」
お豊ちゃんが、玄関わきにある、手すりにすがりながら出てきました。お豊ちゃんの顔は腫れ上がり、あちこち怪我をしたらしく、まともに歩けない状態でした。
それなのに、娘と名乗る女の人は、眺めているだけで手助けする気配すらありません。
まあばあちゃんは、ジッとしていられずに、お豊ちゃんの元へ走り寄りました。
「お豊ちゃん、大丈夫? どうしたの? そのケガ! お医者様に行ったの?」
「まあちゃん……。階段から落ちたんよ。それに、大したことないんよ。」
「お豊ちゃん、あんた、医者に行ったんか!」
「…………」
お豊ちゃんは下を向いてしまいました。
「田岡さん、まだ、医者に見せてないんやったら、わしの車で行ったらええがな。な?」
会長さんが優しく言いました。
「心配せんでも、うちの主人がケガと病気に詳しい人なんで、あとで見せますから、心配せんとってください!」
さっきの女の人が怒鳴ってきました。
「ね! お豊ちゃん、私の家に行こう。ここに居たらアカンと思うの。」
「……まあちゃん……」
お豊ちゃんは、涙で真っ赤になった目でまあばあちゃんを見ると、下を向いてしまいました。
「もう、顔見たんやから、ええ加減に帰って下さいよ!! こっちは越して来たばかりで忙しいんやで!」
女の人が、また怒鳴ってきました。会長さんは、それには答えず、お豊ちゃんに言いました。
「あの人は、ほんまにあんたところの娘さんか?」
「……はい。」
「ほんまか? 間違いないか?」
「……はい。」
それだけ返事すると、お豊ちゃんはまたヨロヨロとしながら、家の中に入って行きました。

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お豊ちゃんに会えるか?


「まあちゃん、見てみ。会長さん、話ししてはるわ。」
「急ぎましょう。」
近づいて行くと女の人の大きな声が聞こえてきました。
「……そうなんですわ。母が歳なもんで一人で置いておくの心配で、ここに越してきたんですわ。えろう、心配してもろてすみません。母は幸せものですわ。」
まあばあちゃん達に話す時、怒鳴られていると思っていましたが、その女の人は普段からこんな話し方をする人のようでした。ニコニコ笑いながら話しているのですが、ケンカをしているような話し方です。
「そうですか。でも、こんな時期はずれに引っ越しとは大変でしょう……」
会長さんは普段通り落ちついた口調で、返事していました。
「もう、主人が退職しましたから、事業でも始めるんやったら、私が住み慣れた土地の方がエエやろて主人が言うんですわ。それと、」
「なんですか?」
「うちら、町会には入りませんから。役とか煩わしいんで。」
「それは、私の一存では決められませんから、今、ここで返事することは出来ません。一番に迷惑がかかるのは同じ班の人達ですから、まず、お隣さん達と相談してください。」
「なんや。会長さんとは名ばかりやな。頼りないこっちゃな。」
自分の言い分が通らないと分かると、傲慢な態度に変わりました。
「今日はこれで帰りますが、お母さんに会わせてもらえますか? お話があるので……」
「ちょっと、待ってくださいね。母は今日、階段から転げ落ちてしまいまして、すぐには出て来れないんです。おかあさん。会長さんが来てはるで! ちょっと来て!」
お豊ちゃんに会える! お春ちゃんとまあばあちゃんは色めき立ちました。
「でも、階段から、落ちたって……、まあちゃん、お豊ちゃんは大丈夫やろか? 病院連れて行ってもろたやろか?」
まあばあちゃんも心配で胸が潰れそうでした。

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連れ子


「しかし、田岡さんに娘さんなんていてはったかなぁ……。」
「でも、お豊ちゃんが、娘から連絡が来た言うてましてんで?」
「う~ん。あっ……」
会長さんが、ハッとしたように声を上げました。
「どないしたんですか?」
「ご主人の連れ子かもしれん……」
「え? お豊ちゃんのご主人は再婚でしたんか?」
「そない聞いたけど……。とりあえず、様子を見に行くわ。難しい子やって、チラッと聞いたことあるの思い出したわ。」
そう言うと、会長さんは上着を取りました。
「うちらもご一緒していいですか?」
お春ちゃんが、言いました。
「もちろんや。一緒に行こう!」

「会長さん、足が早うて、ついて行かれへんわ。先に行っててくれますか。すみません。追いかけていきますんで。」
お春ちゃんがハァハァと息を切らせながら言いました。まあばあちゃんもお春ちゃん程ではありませんが、とてもついて行けません。
「すまんすまん。」
と会長さんは、歩みをゆっくりにしました。
「いえ! 先に行ってください。会長さんの話を伺ったら、お豊ちゃんの事が余計に心配になってきましたわ。あの旦那の連れ子やなんて……! お豊ちゃん、今頃、酷い目に遭わされてるかもしれへん。うちら遅れていきますから、行って下さい!」
お春ちゃんに促されて、会長さんは走って行きました。
お春ちゃんとまあばあちゃんは、手を合わせて、お豊ちゃんが酷い目に遭っていませんようにと祈りました。

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可愛そうなお豊ちゃん


「それから、田岡さんの事が心配でな。家内も気にかけてくれてたんやけど、なかなかなぁ。……せやからDV法が出来た時は、田岡さんの家の前をよく通るようにしたよ。もし、悲鳴が聞こえたら警察に通報したろと思ってな。」
「私、隣に住んでたのに……、ちっとも気ィ付きませんでしたわ。情けないですわ。」
お春ちゃんが肩を落として言った。
「暴力を受けてる人いうのは、その事を隠そうとするらしいから、なかなか周りが気付きにくいそうやわ。自分が悪いから殴られると思い込まされるらしいな。わしかて、あの場に居合わせんかったら、分からんかったと思うで……」
「お豊ちゃん、辛い目に遭ってたんやなあ。全然知らんかった。アカン友達やわ。」
お春ちゃんは、泣き出してしまいました。
「でも、旦那が死んだときぐらい力になれるのに、なんで教えてくれへんかったんやろ。」
お春ちゃんは、涙を拭きながら言いました。
「もう、頭が回らんかったん違うかなあ。田岡さんの家に行ってみたら、警察が来ててな。田岡さんがペコペコ頭を下げてはったんや。たまげて聞いてみたら、田岡さん、間違えて110番したらしいんや。そんで、謝ってたんやわ。警官さんの話によれば、ご主人、もう亡くなってたそうで、110番でもええて言うたはったけどな……」
「そうですか……。お豊ちゃん、家族葬した言うてましたけど、家族と違っても参列してもええんですか?」
「わしも、初めて知ったんやけど、こじんまりした葬式のこと言う事らしいわ。田岡さんに、お金が苦しいから、質素にしたいって相談されてな。」
「お豊ちゃん、家族葬の事やったら知ってたと思いますわ。」
お春ちゃんが涙で声を震わせて言いました。
「え?」
会長さんが、驚いた顔をしました。
「お豊ちゃんの死んだ旦那が、お豊ちゃんが死んだ時、安うで済ませるために家族葬のチラシを集めてたらしいですわ。でも、自分からよう言い出さんかったん違うかな。可哀想に……」
お春ちゃんは、下を向いてしまいました。

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言えない事情


まあばあちゃんとお春ちゃんが、お葬式の呼ばれなかったのは、きっと言うに言えない事情があったからでしょう。
「ご主人が玄関で倒れたいうて、田岡さんがウチに電話してきたんやわ。ワシは出先で嫁さんが受けたんやけどな。そんで、嫁さんがわしに連絡して来て、そんで知ったんやわ。」
「でも、なんで、一番に会長さんとこなん?」
お春ちゃんは、納得できないようです。
「わし、田岡さんに電話かけたら、まだ救急車も呼んでへんて言うから、救急車呼び言うてな。慌てて戻ったんや。」
「「え?」」
お春ちゃんとまあばあちゃんは同時に声を上げました。
そんなこととても信じられません。
この間、樺山さんが倒れた時は、とてもしっかりした判断をしていました。そのお豊ちゃんがどうして、ご主人の時に、救急車を呼ぶのを忘れていたんでしょうか?
二人の反応に、会長さんは、
「田岡さんのご主人は、暴力亭主でな。なにしても怒られるから判断する力が、のうなってたんやと思うわ。」
「「ええ!!」」
お豊ちゃんからご主人のした酷い事を散々聞いていましたが、まさか、暴力を振るわれていたなんて……。お豊ちゃんはそんな事ひと言も言ってませんでした。
「なんで、会長さんは知ってはるんですか?」
「それがなぁ。ワシもはじめて見た時は、ほんまにビックリしたで……。」
「何を見たんですか?」
まあばあちゃんは思わず聞きました。
「盆踊りが終わって、片付けで櫓やらテントやら解体して、会館で、みんなでワイワイ酒飲んでたんや。その時、田岡さんも盆踊りの手伝いに来てくれてはってんけどな。いきなり、ご主人が怒鳴り込んできてな。田岡さんの髪の毛をつかんで引きずって行ったんや。」
「「ええ!!」」
「わし、もうびっくりしてな。追いかけて行こうとしたんやわ。他にも何人かがすぐに動いたけどな。その時の会長さんに止められたんや。」
「何でですか! 酷いやないですか!!」
お春ちゃんが、叫ぶように言いました。
「それがな。以前にも似たようなことがあって、みんなで止めたそうなんやけど、後で余計に酷い目に遭ったそうなんや。考えてみればそうやわな。その場では助けられるけど、田岡さんは、ご主人の元に戻るしかないやろ。今みたいにシェルターやらDⅤ法やらてないしな。」
それを聞いて、お春ちゃんは黙ってしまいました。

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どういうこと?

「ええ? そら、おかしいな……」
町会長さんは、お昼ご飯を食べ終えて、お茶を飲んでいました。急に伺ったのに、応接室に通してくださって、奥さんがお茶を出して下さいました。
「田岡さんに、娘さんなんていたはったんか?」
町会長さんは、怪訝そうな顔をして言いました。
「お盆前に、娘さんからユーエフ何とか言う遊園地に行く言うて、その時にお豊ちゃんの家に泊まるって電話が来たらしいんです。何年も連絡無かったのにって。お豊ちゃんいうたら、喜ぶどころかえらい不安がってたけど、ほんまに大変なことになったわ。」
会長さんは、分からないというように首を振っています。
「何とか言うて下さいよ。娘がそないなことするって、私、おかしいと思いますねん。あんな来るなり、家の中のもん放り出すって! 犬のモンだけやないんですよ。お豊ちゃんの花やら小物やら、何でもかんでも庭に放り投げたぁるんです。そら、ヒドイもんなんです。」
お春ちゃんが、興奮して言いました。
「わし、ご主人のお葬式行ったんやけど、わしと奥さんだけやったんやで? 娘さんおったんやったら呼びはるやろ?」
会長さんが首をひねりました。
「それが、行方知れずやったみたいなんですわ。」
「行方知れず?」
「はい。たまにフラっと帰ってくることもあったそうなんですけど……。……え? あれ? 会長さん、今、葬式に出た言いました?」
お春ちゃんは、不思議そうに言いました。
「そうなんや、田岡さんの奥さん、放送はせんと、ひっそり葬式したい言わはってな。慎ましいええ葬式やったで。」
「うちら、友だちやのに、葬式、知らんかったんやで……」
お春ちゃんは、訳が分からないという顔をしました。

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お春ちゃん、行こう。


こんなにお春ちゃんが大きな声を出しても、お豊ちゃんは出てくる気配がありません。
「あの、鉢植えはどうして捨てているんですか?」
まあばあちゃんは、庭に放り出されて転がっているいくつもの鉢植えに気付いて、女の人に言いました。
今のまあばあちゃんの位置からハッピーちゃんのゲージは見せませんが、きっと上からどんどんいろんな物を投げ捨てているように思いました。
「はあ? いらんもんやから、出したぁるねん。見たら分かるやろ!」
「あんた、あれ、お豊ちゃんが、育ててる花やんか! なんでそんなんするん!」
お春ちゃんが、真っ赤になって怒りました。
「ばあさん、あんまり怒ったら血圧上がってあの世に行くで~」
とからかうように大柄な女の人は言いました。
まあばあちゃんは、これ以上言っても無駄だと思いました。
「お春ちゃん、もう行きましょう!」
「なんでや! お豊ちゃんに会わせてもうてないで!」
「町会長さんに、話を聞いてもらいましょう。」
そして、大柄な女の人をチラッと見て、
「自分の父親のお葬式にも出ない娘さんなんて、もし本人でも恐ろしいもの。お春ちゃん、行きましょう!」
まあばあちゃんは、先に歩き出しました。
「ちょっ、ちょっと、私も行くから待ってよ!」
お春ちゃんも慌ててついてきました。

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お豊ちゃんに会わせて!


「それ、おかしいで。ホンマにお豊ちゃんの娘なん?」
お春ちゃんが、ビックリして言いました。
「お豊ちゃんに確認したわけじゃないけど……。とても、話が出来る雰囲気じゃなかったのよ。」
「ほな、確かめに行こう! 今度は私がインターフォン押すわ。この子らは、ここに置いといたらええやん。部屋も冷えてるし。暑いとこ歩くことないで。」
まあばあちゃんは、頷きました。一人では心細く思いましたが、今度は二人で行くので心強く感じました。

「ほな、押すで。」
お春ちゃんが気合いを入れて言いました。まあばあちゃんも緊張します。
―――ピンポーン、ピンポーン―――
返事はありません。お春ちゃんはもう一度押しました。
―――ピンポーン、ピンポーン―――
しばらく待っていましたが、やっぱり返事がありません。
今度は、
―――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン―――
と連打しました。すると中から、
「なんや! うるさいなぁ!! 誰や!」
今朝見た大柄な女の人が、出てきました。
「あんたが、なかなか出てけぇんからや! うちら、お豊ちゃんの友達やねん! 会いに来たから、お豊ちゃん、呼んできて!」
お春ちゃんは、気合いを入れてきたせいか、なかなかの気迫です。負けていません。
「うるさいなぁ! ばあさんは帰れ!」
「今日、約束してたのに、なんで来ぇへんかったんか聞きたいから、お豊ちゃん、出して!」
「帰れ、帰れ!」
「あんた、閉じ込めてんとちゃうか? お豊ちゃーん、お豊ちゃーん! お春がきたで、顔見せてぇな!」
家の中で、人の気配はするのに、誰も出てくる様子はありませんでした。
「しつこいなぁ。朝から、バアサンばっかり気持ち悪いわ。」
ひどい言葉を言われましたが、お春ちゃんは、怯みませんでした。
「あんた、ほんまにあの優しいお豊ちゃんの娘か? 成りすまし違うか? ほんまは他人なんやろ?」
「はぁ? 何言うてんの?」
「今から、町会長さんに話して、警察にも言うで!」
お春ちゃんは、さらに強く言いました。

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お春ちゃんも心配


「お豊ちゃん、来るの遅いなぁ。どないしたんやろ?」
お春ちゃんは玄関の方を見て言いました。
「……そうね。」
まあばあちゃんは、今朝、お豊ちゃんの家で見たことをどう話せばいいのか悩んでいました。
「なんや、気のない返事やな。まあちゃんは、お豊ちゃんの事が心配と違うん? 私なんか、年がら年中イヤミばっかり言われて、お豊ちゃんの心配する事なんかないと思ってたけど、こんな風に連絡もよこさんと急に来ぇへんかったら、心配でしゃーないわ。」
「…………」
「せやかて、おかしいと思わへんか? この犬だけ、まあちゃんに預けて自分だけ来ぇへんて……。あの子、あれで、キッチリした性格やから待ち合わせたら、いつも一番に来てるねんで、連絡すんのもキッチリしてるし……」
まあばあちゃんは、答えに詰まりました。
「なぁって!」
お春ちゃんは、残りのウインナーをパクパクっと食べると、
「私、ちょっと、お豊ちゃんの家に行って来るわ。もしかしたら、倒れてて救急車呼んだらんとアカンかもしれん。」
「ま、待って、うまく話せないかもしれないけど、ちょっと、聞いてくれる?」
事情も知らずに行ってしまったら、どんなに驚くか、それに、あの大柄な女の人にいきなり怒鳴られるかもしれません。
まあばあちゃんは大慌てで止めました。

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不安が的中


「80過ぎのバアサンに友達やて、気持ち悪いなぁ。」
玄関にボサッと立ったまま、大柄な女の人は、大きな声で独り言を言いました。
(え?)
聞こえよがしに言われて、まあばあちゃんはビックリしました。
(この女の人が、本当にお豊ちゃんの娘さん?)
いつも人に気遣っているお豊ちゃんの娘だとは、にわかには信じられない事でした。
お豊ちゃんはすまなそうに目を伏せました。
娘だからと言って、叱れるような雰囲気ではありませんでした。
頭からお豊ちゃんの事を馬鹿にして、威圧していました。
お豊ちゃんの不安は的中してしまいました。
まあばあちゃんは、フッと挨拶しかしたことのないお豊ちゃんのご主人の顔が浮かんできました。
お豊ちゃんの年金の保険料を惜しがって払わなかったご主人のせいで、年金のないお豊ちゃん。娘さんはご主人に似てしまったのでしょうか?
「じゃ、ハッピーちゃん、連れて行くわね。またお昼ご飯の時でも、お話ししましょうね。いつものようにお春ちゃんの家で待ってるからね。」
お豊ちゃんは、少しだけ嬉しそうに笑って、頷きました。
「じゃ、ハッピーちゃん、わたしと行きましょうね。」
まあばあちゃんと、ジロとミミちゃんとハッピーちゃんは歩き出しました。
ハッピーちゃんは心配そうに何度も何度も振り返っていました。

―――この日、お豊ちゃんは、お昼を食べに来ませんでした。―――

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突然に……



「まあちゃん……」
お豊ちゃんが泣きはらした目をして、表に出てきました。すると、家の中から、
「誰?」
と、大柄な女の人がお豊ちゃんに聞きました。
お豊ちゃんはビクッとして俯いてしまったので、まあばあちゃんが、
「お早うございます! 私、お豊ちゃんの友達です。今日は、お豊ちゃんにお野菜を食べてもらいたいと思って持って来たんです。」
女の人は、ふうんというように頷きました。家の中でザワザワしている様子が伝わってきます。娘さんのご主人や子どもさんの気配でしょうか?
「お豊ちゃん、これ……」
と言って、まあばあちゃんはお野菜を渡しました。
「ありがとう……」
お豊ちゃんは、無理矢理に笑顔を作ってお礼を言いました。
「お豊ちゃん、ハッピーちゃんを連れて帰っていい?」
お豊ちゃんは、暑そうな息をしているハッピーちゃんを辛そうに見て、
「ありがとう、そうしてもらえたら助かるわ。」
お豊ちゃんは、ハッピーちゃんの側に行くと、そっと顔を覗き込んで、“ごめんね”と言うようにおでこをコッツンコしました。そして、ハッピーちゃんをまあばあちゃんに渡しました。
今朝、散歩した時とは別人のようにやつれていました。
さっきから、まあばあちゃん達をつまらなそうに見ている女の人は、お豊ちゃんの娘さんなのでしょうか? まあばあちゃんはお豊ちゃんに確かめたい気持ちでしたが、急なことで、気持ちが落ちつてないだろうし、さっきからずっとこっちを見張るように見ているので、とても話せる状態ではありません。
「ゲージ、邪魔だったら、後で恭子ちゃんに取りに来てもらうわね。」
お豊ちゃんは、涙をこらえるようにウンウン頷きました。
まあばあちゃんは、放り出されているハッピーちゃんの持ち物の中から、お豊ちゃんが、ハッピーちゃんを刺繍したクッションを選んで、軽くはたくとシルバーカーに乗せました。

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お野菜を届けに


「おばあちゃん、行ってきまーす!」
トモちゃんが、元気よく自転車をこいで行きました。
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
まあばあちゃんは、トモちゃんが見えなくなるまで手を振ってから、家の中に入りました。
今日から二学期が始まりました。
今日から、毎日学校です。夏休み中もクラブ活動で半分は学校に行っていましたが、やっぱり本格的に学校が始まると、どこか寂しく感じるものです。
時計を見ると、まだ7時過ぎでした。
「洗濯機を回すのはまだ早いわね。……そうだ、お豊ちゃんに、お野菜持って行きましょう!」
まあばあちゃんは、お豊ちゃんのためにシルバーカーに野菜を積み始めました。
「ええっと、キュウリとナスビとゴーヤ……。これでいいわね。ジロ、ミミちゃん、そこまでだけどお外に行く?」
ジロもミミちゃんもお出かけが大好きなので、まあばあちゃんが誘ったらいつも嬉しそうにオッポを振ります。
「まだまだ暑いから、保冷材をつけましょうね。はい出来た。……じゃ、行きましょうか!」
ジロとミミちゃんにリードをつけて出発です。
「ほら、もうついた、お豊ちゃんのお家よ。」
まあばあちゃんが、インターフォンを押そうとした時、
「なんや! なんで、犬なんか入れたんや! うちらに毛ぇ付くやんか!」
女の人の怒鳴り声が聞こえてきました。
(……まさか、お豊ちゃんの娘さん?)
門扉は半開きになっていました。その隙間に少しだけ体を入れると、ハッピーちゃんが陽の当たる外につながれているのが見えました。まだまだ日差しに当たると、暑い時期です。ハッピーちゃんは、ハアハアいっていました。そして怯えた様子で小さくなっていました。
ハッピーちゃんの周りには、クッションやゲージが放り出されていました。
まあばあちゃんは、急いで表に出てインターフォンを押すと、
「お豊ちゃーん! お豊ちゃん、いますかー!」
と大きな声でお豊ちゃんを呼びました。

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お春ちゃんが笑った


お昼ご飯を食べ終えてお茶を頂いてとき、お春ちゃんが、
「お豊ちゃん、あんた、娘さん来たん?」
「ううん。」
「もう、夏休み終わってしまうやんか。孫ちゃん、可哀想やんか。」
「よう知らん。それに、孫って40くらいやろ? 来たいんやったら、自分らで来れるんちゃう? だいたい友達同士とかで行くのが普通やと思うねん。うちらの40いうたら、子どもが所帯持つ頃やんか……」
「ほんまやなぁ」
「私、不気味やわ。怖いわ。」
「来るんかどうかだけでも、電話して聞いたらわ。」
お春ちゃんがそう言うと、
「わたし、娘の連絡先知らんのよ。」
「ええ! 知らんの?」
「あの子、連絡しない子やねん……、あの子の若い頃に、アパートの電話番号へかけてみてたら“現在使われておりません”って言われたから、勤め先に電話したら、もう何年も前にやめたって言われて……」
「孫の顔って、初めて見るんか?」
「ううん。小さい頃にフラッと連れて来て、それきり……」
お豊ちゃんは、フウッとため息をついて、
「お春ちゃん、このだし巻き、冷蔵庫に入れとこか?」
そう言って、食べ切れなかっただし巻き卵の皿にラップをかけました。
「ありがとう。助かるわ。」
「冷凍室に、まあちゃんが買ってくれたカツオのたたきあるけど、切っとこか?」
「頼むわ。ありがとう!」
お春ちゃんがご機嫌に返事しました。
そう言いながら、お豊ちゃんは洗い物を始めていました。その間、お春ちゃんは座ったままです。
「あんたも、返事ばっかりしてんと、ちょっとは動かなアカンで……」
お豊ちゃんが呆れたように言いました。
「へへへ。ほんまや。あははは。」
お春ちゃんは、ケラケラ笑っていました。

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ある日……


「まあちゃん、これ見て……。私、どうしたらいいかなぁ。」
お豊ちゃんが、一冊の通帳を見せてくれました。まあばあちゃんが、お豊ちゃんの言いたいことが分からず、戸惑っていると、
「これ、樺山さんが、いつもお世話になってるからって、くれはってん。」
それを聞いて、まあばあちゃんはお豊ちゃんの言いたいことが分かりました。
ハッピーちゃんが来てから、お豊ちゃんは明るくなりました。以前の樺山さんを知りませんが、きっと樺山さんもでしょう。
樺山さんに急な仕事が入った時など、留守中にお豊ちゃんがハッピーちゃんを引き取りに行くこともあります。また、お豊ちゃんが、何日も続けてハッピーちゃんを預かることもありました。そして、樺山さんが倒れて救急車で運ばれたことがあったのですが、その時、食事を作ったのがきっかけで、樺山さんのお家に上がるようになり、掃除したり食事を作るようになりました。
樺山さんは、それをとても感謝されていて、それを形にしたかったのでしょう。
「まあちゃん、どう思う? 頂いてもいいのかなぁ。ハッピーの事は私が好きでしてることだし、食事って言っても年寄りが作るものだもの。大したこと出来てないんよ。」
と、照れ臭そうに笑いました。そしてその笑いがふっと消え、淋しそうに
「あんな息子がいたらなぁって思うわ。……」
と言いました。
お豊ちゃんの現状を考えると、まあばあちゃんは言葉が見つかりませんでした。
<"樺山さんが入院した時のお話">

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思わぬ幸運


「あんた、年金してもろてへんて言うてたけど、生活どないしてんの?」
お春ちゃんが、心配そうに聞きました。
「うん、私一人やし、出かける言うても、その辺の歩くだけやら、食べるモンは、まあちゃんが野菜やらようさん分けてくれるから、そんなに不自由してないねん。」
「そんなん言うたかて、光熱費はどないもならんやろ?」
「うん。貯金が100万円くらいあるから、それを取り崩してんの。なぁ、ハッピー。」
そう言って、お豊ちゃんがハッピーちゃんを抱きしめました。
「わたし、ずーっと犬と暮らしたかってんけど、主人が動物は臭いし汚いって言うからアカンかってん。嫁に行くまでは、ずーっと犬おったから淋しかったわぁ。」
丁寧にブラッシングされているハッピーちゃんはフワフワさらさらの毛並みです。爪もキレイに揃っています。
「あんた、その犬、ものすごい大事にしてるなぁ。」
お春ちゃんが、呆れたように言いながら、ミミちゃんの頭を撫でていました。
「あの時、思い切って預かりたいって言うて、ほんまに良かったわ。犬を迎えるって言うても、年金のない私じゃ先行き心配やし、私が先に死ぬかもしれへんと思うと、とてもとても……。人助けになればと思って始めたことが、私の方が助けられて……」
「そやな、うちら、出かけることも無いし、服かてそんなにいらんしな。それに、食べるもんやったら、あんた、その犬の飼い主さんにも、お肉やらお菓子やら、いろいろしてもろてるもんな。うちらにまで気ィ使ってくれはって、ほんまに有難いこっちゃ。せやけど、その犬も、歳みたいやし、急に病気になったりしたら、あんた大変やんか。」
「樺山さん、よく気の付く人やから、そういう時のためにって、きちんとしてくれてはるん。他にも、薬とか細かい事、私がしてるから……」
「薬? 薬て?」
「ハッピーは、病気してなかったから、この時期はフィラリアの予防薬くらいよ。あとダニがつかんようにする薬くらいかな。」
「へぇー、まあちゃんもしてんの?」
「してるわよ。うちも幸いみんな健康で助かってるわ。」
「あ、あんたもミィちゃん、動物病院連れていかなアカンよ。元気そうやけど診てもうといたら安心やんか。」
「そやな、行って来るわ。」
お春ちゃんは、納得したように頷きました。
樺山さんは、忙しくて、ほとんどお豊ちゃんがハッピーちゃんの世話をしてるので、ハッピーちゃんのベビーシッターみたいなもんやって、月々、お礼をしてくださいます。
お礼を頂けるなんて思ってもみなかったお豊ちゃんは、初めはお断りしていましたが、まあばあちゃんにも勧められて、頂くことにしました。
ハッピーちゃんといるだけで幸せなのに、お礼までいただいて、ご主人にひどい扱いを受けていたお豊ちゃんにとってみれば、思いがけない幸運でした。

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行くところ


「なんや、あんたゼロ戦に乗ってた人、知ってるんか?」
お春ちゃんが、驚いたように言いました。
「ううん。でも、命かけてお国を守ってくれた人らやもん。強気なこと言うてても、怖かったやろうと思う。若いんやもん、夢や、やりたいこともあったやろう。なにより生きたかったやろうと思うねん。」
「ほんまやなぁ。」
「今の時代、若い人が遊ぶお金が欲しいからって人殺しするニュースをよう聞くやん?私の若い頃の人と比べてしまうわ。家族を残して、ボロボロの飛行機に乗って敵艦に体当たりしに行くんやで。どんな気持ちやったんやろう。軍の偉い人は仕事せぇへんと命令ばっかりで、ちょっと気に沿わんとポカポカ殴ってたて聞いたわ。」
お豊ちゃんが、本の表紙をめくりました。
「なぁ、あんた、主人まつってんの?」
お春ちゃんが唐突に聞きました。
「ううん。まつってないよ。死んでホッとしてんのに、もう、帰ってきてほしいない。もう、あの人の事は、思い出しとうない。あの人、お金に細かくて、使ったお金は1円まで報告しなあかんし、掃除の仕方が下手やとか、水出しすぎとか、すぐに手を上げるし、ほんまに箸の上げ下ろしまで言われて、病気になりそうやった。」
「手ぇ上げてたんかいな! 最低やな!」
「そやから、お盆も帰ってきてほしくないねん。あの人、行くところはナンボでもあるって言うてたから、そこに行ったらいいねん。」
「行くところってなんや?」
「なんか気に入らんことがあると、『お前、出て行け』とか、『お前、出ていけへんねんやったらワシ出て行くわ。』とか言うてたわ。」
「嫌なこと言うやっちゃなー! どこへでも行ってしまえって言うたらよかったんや。」
「そんなん、恐ろしいてよう言わんわ。でも、ホンマに出て行ったことは一回もないねん。せっかくあの世に旅だったんやから、向こうで気楽にしてたらいいと思って……」
「ほんまやな。それがええわ。」
お春ちゃんが頷きました。

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Author:堺の町のまあばあちゃん
堺の町に住む、ひとりのおばあちゃんのお話です。
住み慣れた町の人々との交流や孫のトモちゃんや犬のジロとの生活を通して力強く生きていく姿を物語に書きたいと思います。 
宜しくお願いします。
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